2017年8月16日水曜日

木曽義仲旗挙げまつり





今年の『木曽義仲旗挙げまつり』に似顔絵で初参加しました。かの有名な『平家物語』の世界が広がっていたのだ。
日時/2017年8月14日(月) 似顔絵イベント出演 15:00~18:00 
場所/木曽町日義 義仲ふるさと広場(義仲館) 長野県木曽郡木曽町日義290-1 
/JR中央本線「宮ノ越駅」下車→徒歩5分
出演画家:さいとうあきら
※木曽町のお客さんになってくれた地元の名士の方に聞いたのですが、僕の地元入間の地には、義仲の嫡子の義高の絶命の地であると教えてくれました。僕の家の近所で入間川・国道16号線沿いの清水八幡には源義高(清水冠者義高)がまつられています。

【下記は狭山市教育委員会・狭山市文化財保護審議会掲示より抜粋】
義高は源(木曽)義仲の嫡子ですが、源頼朝に人質として鎌倉へ送られ、頼朝とその妻北条政子との間に生まれた娘、大姫の婿になっていました。義仲が頼朝に討ち果たされたのを知った義仲は、自分にふりかかる難をのがれるため従者六人ばかりと共に祖父義賢の地(大蔵館)や義仲を助けた畠山重能の地(菅谷館)がある現在の嵐山町をめざして逃亡しましたが、当地入間河原で頼朝の追手に討ち果たされました。このくだりは「吾妻鏡」にのっていますが、それによると、政子と大姫は義高の討死を嘆き悲しみ、直接、義高を刃にかけた藤内光澄を打ち首にし、義高の霊をまつるため、その討ち果てた地、入間河原に社を建てたということです。それが清水八幡ですが、度重なる暴風雨や洪水で当時の社は跡形もなくなり、場所も現在では、はっきりせず、このあたりであろうと思われます。

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